Nadegata Instant Party

3人での作品制作によせて、  野田智子

2006年 NIP結成時のノダモの文章が発掘されたので掲載してみる。
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中崎透/山城大督
2人の作品を私なりに解説するにあたって、この企画の
始まりとしたい。

ちょっと、落とし穴まで。

「看板屋です。」
中崎透に出会った時、彼は私にそう言った。
お酒の席ということもあり、看板?とあまりピンとこな
いまま、作品の紹介を受けた。彼はすでに出来上がって
いて、つらつらと饒舌に《看板屋なかざき》の解説をし
てくれた。よくよく写真を見ると、そこには多くの某有
名企業の看板が光っている。しかし「みずほ銀行」と書
かれた看板は、頭の中で思い描く「銀行」のイメージよ
りも遥かに弱々しく、「みずほ銀行」という名のスナッ
クの看板にしか見えない。企業の顔であるはずのビジュ
アルが、中崎の手によって組み替えられ、企業の名前だ
けが宙ぶらりんの状態で、煌々と光っているのだ。
今年の夏、青森にて滞在制作した作品を見た。こちらも
《看板屋なかざき》シリーズのひとつで、看板の群れと
共に一冊のファイルが置いてあり、そこには看板を制作
するにあたって交わされた契約書がファイリングされて
いる。その契約書とは、「依頼人<雇用人」という本来
と逆転した効力を持っており、依頼内容とは裏腹な看板
が制作される。そこには依頼人の思惑とは逆方向、もし
くは逸脱したイメージとなって、目の前に表れる。
確かに依頼人と雇用人との間には力関係が生まれるのだ
が、双方の看板に対する「思い違い」=「ズレ」が違和
感を招き入れ、思わず吹き出してしまう。
中崎は「契約」の立場を逆行することで出てくる違和感
をするりと笑いに代え、その違和感を曖昧にしつつも、
大きな何かを投げかけてくる。
それは、中崎の他の作品《BEER SPLASH PROJECT-
》(2003)にもいえる。芸術生産の依頼に対して「消費と
生産」というひとつの構造を「ビールかけ」を通して逆
行する。彼はその様子を“何かの達成の行為が目的へと
移行し、奇妙な儀式のようなものと化した”と振り返る
ように、見えない虚像をつくり出し、何か大きな違和感
を抱かせるのだ。
ではその「何か大きなもの」とは?実は私も、まだ明確
には掴んではいない。しかし、中崎の作品鑑賞後に残る、
大きな落とし穴に落とされたような、あの感覚が大きな
ヒントになるのではないかと思っている。

マップの中。

山城大督の作品を知ったのは、今から2年ほど前だ。
山城は日常の出来事をそのまま作品へと向かわせる。そ
れは、身体の生理的な現象や、社会に在る我という立場
について、あるいは、ごくごく身近で起きた些細なこと
だったりする。これらを通して紡ぎ出された作品は、ひ
とつのエピソードのようだ。《あくびコミュニケーショ
ン》(2001)や《yes 境界モニュメント》(2003)は、観
客の参加を自動的に誘いながら、いつの間にか現象の渦
中に身を置かせることになる。また、《移動する事
(2003.夏.屋久島)》(2003)では、旅をしながら、偶発的
な出会いに身を任せ、作品を生成してく。しかし、これ
らのエピソードが、ひとつひとつ単体で存在しているか
というと、決してそうではない。山城の日常に作品生成
という営みがあり、この営みを通して人生のマッピング
を図っていく。そして、その作品を見た私までもがエピ
ソードとして包括され、山城の人生マップの中へと入り
込んでしまうのだ。山城はそのマップを時折広げ、次の
目的地へと日常を向かわせているのかもしれない。そん
なことを思うのである。
また山城は、個人での制作活動の他に、2つのユニット
に属している。ひとつは男三人組で「アーカイ美味ん
ぐ」という日常映像アーカイブチームを作り、もう一方
は「anonymous light」という“写真についての作品”
をつくる理論派のユニットである。どちらも山城のバッ
クグラウンドである、写真や映像といったメディアを最
大限駆使し、表現の幅を広げている。また一方でメデァ
そのものを丹念に再考していく試みも果敢に行なってい
る。

広大な海へ。

そんな2人との出会いを通して、私は、ある企みを考えた。
それは「何をやってもいい」という条件のもと、2人に
作品をつくってもらうことだ。2人に共通する点といえ
ば、日常から作品のヒントを探し、隠し味に“笑い”を
入れること、そして、ある状況、ある空間、ある事象か
ら、オリジナルな視点をもってその場を汲み取り、自ら
の表現としてアウトプットしていける点である。しかし
ながら、その手法はそれぞれ相反し、中崎はアナログ派、
山城はハイテク派である。
さて、この似て非なるふたりが、一体何をやってくれる
のだろうか。
3人まとめて広大な海へ飛び込む心の準備はもう出来て
いる。
by n-i-p | 2008-08-13 02:36